8年経ってからはてなに入社しました
この記事は、はてなスタッフアドベントカレンダー2015の12月18日の記事です。
前日はid:astjさんが担当されました。
すべての方に初めまして! id:sac2ndgigと申します。
このたび、株式会社はてなに入社させていただきました。入社して日が浅いのも含め、はてなにくるまで色々ありましたので、今回はそのことについて書きたいな、と思います。
株式会社はてなとして知ったきっかけ
はてなのインターネットのサービス、としてではなく、株式会社はてなとして知ったのは以下の対談がきっかけでした。
もはや古すぎて残骸が残っておらず、はてなではイベントに関するページはサルベージできず、カヤックはURLはあるものの真っ白だったので「もしかしてこのイベントって幻だった・・・?」と考えていたのですが、GMOペパボにイベントのページが残っていました。
カヤックの柳澤社長、はてなの近藤社長(当時)、Paperboy&co.(現GMOペパボ)の家入社長(当時)が集まって組織について対談するというものです。
当時の私は確か19歳くらいだったと思います。
19歳の時に何をしていて、この対談にいったのか
19歳の年齢ですと、おそらく大学に行っているくらいの年頃であったのではないかなあと思います。ご多分に漏れず、私は大学に行っていました。3ヶ月だけ。
後述する大学生活の挫折の果てに私は上記の三社イベントに面白い会社を見に行きたいという理由なだけで応募したのを覚えています。
元々インターネットが大好きで、初めてホームページを作ったのが小学校6年生くらいのときでした。父親がエンジニアであったこともあり、パソコンがすぐ側にあったというのも影響にあると思います。
父が大学生の頃に買ったパソコンで、でっかいフロッピーディスクを差し込みながら、ガムボールというゲームでよく遊んでいました。あとは両サイドに土管があるマリオのやつ。ガムボールは以下にありました。これですこれです。
あと、トラックを走らせるゲームをやってたのですが、これはもうタイトルも何も思い出せない・・・とおもってとりあえず、トラックって入力したら出てきました。すごい。嬉しい。
それから先、インターネットに触れて、最初のうちはYahoo! Japanでサングラスのついたホームページがオススメ!と父親に教えられたこともあり、サングラスのついたホームページをよく見ていました。
このサングラスのマークはどうやったらつけてもらえるのだろうと日々悶々としていたことを思い出します。
高校時代〜大学入学してからの道のり
大学生活を挫折した簡単な経緯ですが、大学に入ってすぐの講義が、パソコンを使ってフロッピーディスクにテキストファイルをコピーしてみようというもので完全に心が折れました。
FDにコピーすることから始まる恋物語があると思って頑張ってコピーしましたが、そんなこと全然なかったので、入学して早々に大学にいかなくなりました・・・。まだまだ通えば違う未来があったかもしれないのですが、「思ってたんとちがう」と叫びながら大学へいくのをやめてしまいました。
大学に行かなくなった先には
結局、大学にも馴染みきれなかった私は、バイトでウェブ製作会社に入ることになり、当時の上司にいろんなことを教えてもらいながら働き始めました。
デザインの基礎知識や、Photoshopの使い方、キーボードのショートカットキー、写真補正や修正、原稿の校正や、SEO、他には他社と打ち合わせをすることもあったのでビジネスマナーや、Webディレクターとして1からウェブサイトを制作するディレクションをやらせてもらったり、マーケティングも勉強させてもらいました。
大学では教えてもらえそうになかったことが現在進行形で教えてもらえる!*1
しかも、お金ももらえるなんてサイコー!!!と2年間くらい興奮してた私ですがその後、会社が潰れました。
「最後の給料をもらえるよう、交渉する」
尊敬する上司が、かっこいい台詞を言い残し、親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくそのさまは、まだ若かった私にはまぶしすぎる状況でした(お給料はもらえました)
行き場を失った私、人力検索で質問をしてみた
上司が会社と共に溶鉱炉に沈んだ後、20歳にして働くべき場所がなくなり、目標が見えなくなってしまった私は「人力検索はてな」でインターネットに詳しい人はどこで働きたいのか聞いてみよう・・・と唐突に思い立ち、以下の質問をしました。
デザイナーと当時名乗っていますが、確かに数十件ウェブサイトを制作していたので、同じような仕事がしたいなぁとは思いつつも、他のデザイナーさんの仕事ぶりをみてから、自分がデザイナーを名乗るなんておこがましい・・・(切腹)と振り返り、今はデザイン関係については脳内で凍結しています。中途半端な古い知識があるのは、この時代の名残です。
そして人力検索はてなで「はてな」を薦められる
正直、人力検索はてなで質問してるくらいですから、「はてな」にモチロン興味はありました・・・。
でも自分に何ができるんだろう、何の役に立てるのだろう。
そういったビジョンが全く見えてこない状態でした。
なので皆さんが面白い、楽しい、働いてみたいとおもったところを教えてもらおうと思って質問したら、そこに「はてな」がありました。
せっかく背中を後押ししていただいたので、おもいきって応募したんです。
今回の入社時にはもう8年前のことだし時効にしよう・・・バレたらその時、話そう・・・と思って、今はじめてこのブログで8年前にはてなに応募していたことを書いています・・・。
8年前にはてなで行われた面接は人生相談のようだった
堂々とした私服姿で、当時のはてな(渋谷の鉢山町かな?)にいきました。
今はGoogle Mapsでランドマークを確認してから移動しているのですが、今思えばよくGoogle Mapsなしでたどり着けたなあ、と当時の自分を褒めてあげたいです。ヨシヨシ。
あと人生ではじめての渋谷だったような気がします。
母親に高校時代に電車通学が不安すぎるからやめてほしいと涙ながら訴えられたこともありましたが、このときの私は電車も1人で乗れるようになりました。渋谷の改札口の出る方角を間違えて徒歩15分ほどの距離を1時間くらいかけて歩いていったのは忘れられない思い出です。
このトラウマから大事な約束事のときには駅に到着するのを1時間前とかにしています。
面接内容に関して、どのような内容を話したのかについては、詳細までは覚えていないのですが、面接っぽくない感じだったのを覚えています。
結論として、「はてな」には向きそうだけど、仕事内容が望んでいるものと向いてない。そしてその向きそうな仕事を用意することができない。と面接の時点で不採用てきなことを言われたのを覚えています。
はてなで仕事を用意できないといわれた時点で「もぅマヂ無理。ワタシ不採用」ということは当時20歳の私にも、さすがにわかったので、「そうですか・・・」とうつむいていたら、「他にインターネットで興味ある会社とかあるかな?」と聞かれ、馬鹿正直に興味のある社名を応えたりして「ああ、そういう会社あるねぇ」とかいうお話をしました。
帰りは晴れやかな気持ちで帰ったのですが、(お話できて楽しかった)予想はしていたものの、やっぱり届いた不採用メールで現実を突きつけられ、悲しみのあまり山へ登った後、ネットの通じない場所で黙々とペルソナ3を一週間でクリアして元気になって下山しました。
8年の時を経て
その後、はてなの面接で「他に興味ある会社はないの?」と聞かれてバカ正直に答えた会社へと挑んだ私なのですが、そこでも「君に向く仕事あるかなあ(困り顔)」とものすごく不安そうにされましたが、結局インターネット業界へともう1回飛び込むことができました。
ここで拾ってもらえなかったら、もう1回こうして「はてな」に入ろうと思うこともなかったと思います。そして、「はてな」での面接で「他に興味ある会社はないの?」という質問をしてもらえなかったら、行くべき先がまた違っていたような気がします。
たくさん色んなことがこの約8年間であったのですが、歩みを止めて後ろを振り返ったとき、「ああすればよかった」と思うことはたくさんあったとしても、結局は自分で選んできた道なんだなぁと最近はよく思います。
あと関係ないけど8年経って引越しを繰り返すうちにお風呂周りの環境が成長したなーと思いました。
風呂レベル1:風呂がないから洗面台でセクシーシャワー(洋服ケースにお湯ためてIN)給湯器もなかったのでカセットコンロでお湯をわかしていた(アヂィ!!!)
風呂レベル2:風呂がついたけど種火をつけるタイプで種火がうまくつかない。最終的に壊れた
風呂レベル3:ユニットバスになった!トイレに浸水してシャワーカーテンがカビた
風呂レベル4:トイレと風呂が別になった! 最高だ!
風呂レベル5:自動湯はりと追い炊きがついた!ありがとう大家さん!(今ココ)
はてなに実際に入ってみて
ご飯がおいしい(はてなには、まかないランチがあります)、というのと「インターネットたのしい」と思います。
ご飯がおいしい
今までの仕事では、外食が主で「いっしょにランチいきませんか(小声)」と頑張って誘わないとなかなか色んな人と話したりする機会が少ない状態でした。
人に話しかけたりするのがとても苦手な自分にとって「ランチいきましょう」は「好きです。付き合ってください(ハート)」という告白に匹敵する台詞だったので、いつも「あの人と話してみたい・・・」と思っても、なかなかランチに誘えず、お話する機会がなかったりもしたのですが、はてなでは自然と人が集まり、社内の色々な方と話す機会があってとても楽しいです。
インターネットがたのしい
インターネットが当たり前のものになりつつなる今、「ネット」っぽいことを意識することってなかなか難しいな、と最近よく考えます。
インターネットをすることが目的ではなく、手段の1つとなっているような感じでしょうか。昔は「インターネットするぞ!」といって家の電話回線をふさいでいたのに今やケーブルをつけなくてもネットができるこの世界、不思議すぎだなあと思います。
はてなに入ってから、またネットに対する見方や感覚が戻ったり変わったりした気がします。
これから
屈強なネットサーファー(無職)として自分の中で名を馳せていた頃に出会った「はてな」。
今はその会社の1人として毎日まかないランチを食べている自分が信じられません。色々あったけど、私は今「はてな」で元気に生きてます。
これだと「はてな」にインターネットしてごはん食べにきているだけの人になってる!まいっか! はてな最高ー!!!(おしまい)
長々と自分語り、大変失礼いたしました。
明日のアドベントカレンダーはid:matsu_naoさんです。よろしくお願いします!
*1:我慢したらもっと違う道もあったかもしれないけれど